Romaの苦境。

The economistにRomaの特集が載っていました。恥ずかしながら知識がほとんどなかった問題でしたので、自分の知識をまとめるためにここに書いておきます。 基本的に、economistとwikipedia(英語版・日本語版)の方をソースにしています。


1.ロマについて

ロマは、もともとはジプシーと呼ばれていた、移住型民族です。このジプシーという呼び名は、この人々がエジプト出身であるという誤解からきていること、また多くの年月差別的な意味合いとともに呼ばれてきていたことなどから、現在はロマ(Romaは複数形、Romが単数形)と呼ばれるようになっているそうです。

と言っても、この北インドに起源をもつと考えられている人々の呼称として本当にRomaが適切なのかという点には異論があるところで、自らをRomaと呼びたがらない人々もいるそうです。ちなみに、Romani語で「夫」を意味するRomがRomaという呼称の起源になっています。

現在、世界中に1500万人のロマの人々がいると考えられています。その多くは南と東ヨーロッパで、他にはアフリカやアメリカ大陸など、色々な地域に住んでいます。ただ、Romaが移住型民族であることと、それを言い訳にした政府の無関心などが原因で、この数についてさえ、正確な統計がないのが実情です。

2.Romaの苦境

定住する先を持たず、政府の庇護を受けることも出来ないRomaは受難の時を送ってきました。19世紀までは、黒人と同様に奴隷として売買されていたそうです。また、ナチスドイツの統治下では、ユダヤ人とともに、数十万人のRomaが殺されたとも言われています。第二次世界大戦後も、東ヨーロッパに在住していたRomaは、その移動型民族という性質上、共産主義体制になじまず、多くの苦難を味わったといわれています。

フラメンコの原型となる音楽もRomaの音楽にあるといわれています。黒人奴隷が自らの生活の悲哀をうたっていたブルースがのちにジャズに発展していったのに似ているといえるのかもしれません。

21世紀にいたっても、ロマの苦境は変わっていません。2005年に発表されたUNICEFのレポートでは、ブルガリアルーマニアハンガリーのロマのうちそれぞれ84%,88%,91%が貧困線の下(すなわち1日の消費が1ドル以下)の苦しい生活を余儀なくされています。

他の多くの貧困の問題と同じように、ロマの貧困の問題についても、色々な要因が混じりあっています。それには、?民族の伝統的な商業である手工芸や牧畜が現代においては競争力を有せないこと、?出生証明書を持ち合わせていないために起こる(しかも、それは取得しようとすればできるが、多くの人はそれを知らないでいる)就職や事業活動における多くの不利、?教育の不足(しかも貧困線に生活する人々は、子どもを学校に送ろうとするインセンティヴを多くの場合持たない)、?民衆の政府への反感をそらすための道具として「犯罪者集団」呼ばわりされてきたこと、?ロマへの支援金で甘い汁を吸っているロマ・ロビイストの存在などが挙げられます。


3.何をするべきなのか

貧困の罠にかかっていて、それを抜け出せないような状況にある人々を助けるためには、とりもなおさず援助が必要です。援助を通じて、生存のために必要な食料と医療、基本的なインフラを提供する必要があります。インフラそのものが未整備であるアフリカのいくつかの国とは違い、ロマが住んでいる地域ではインフラがある程度整備されている場合が多いので、インフラへのアクセスを提供することがカギになると思います。特にthe economistでは、教育の問題が大きく取り上げられていました。ルーマニアのVizurestiでは、ロマの子供の進学率は94%で、これは非常に高い率です。同都市で行われているような、教師たちの草の根の活動をサポートする仕組みが全地方的に必要になるのだと思います。

援助がうまくいくためには、周囲の人々による関心と、それに根差した現実と開発への理解が不可欠で、それがなかった時、多くの援助はただのお金のバラマキに終わってきました。現時点で、ロマの問題を解決するために、EUから110億ユーロ、さらに追加で230億ユーロが集められているそうですが、根本的な問題である人々の無関心や言われのない非難が改善されない限り、このお金は有効に使われることはないでしょう。 また、開発の問題は終局的には本人たちが自らの足で立ち上がり歩いていけるかどうか、という問題なので、援助の対象となる人々が、「援助漬け」になってしまい自立心を失うようにならないように注意する必要があると思います。

それでも、僕が考える限り、やはり一番大切なことは、関心を持つことにあるのだと思います。遠く離れていても、関心を持つこと一つで、出来ることはいくらでもあります。本当に苦境にある人々の声ほど、この世の中には届きにくいので、僕たちはえてして無関心になりがちです。かく言う僕もこの問題についてほとんど知らず、恥ずかしい限りなのですが、知ろうとする努力は日々怠らないようにしたいと考えています。 この記事を読んだ人が、たった一人でも関心を持ってくれたら、この上なくうれしいです。